ブタがいた教室 何故に、今これを映画化
2010年7月15日http://gamesnavi.net/
ブタがいた教室 何故に、今これを映画化なのか? その後ろにあるもの…。
2008・邦画 ★★★☆☆
監督:前田哲
出演:妻夫木聡 原田美枝子 大杉漣 戸田菜穂 田畑智子 ピエール瀧 大沢逸美
4月。
6年2組の担任の熱血新米教師・星(妻夫木)は、ある大胆な授業を計画していた。
教室に1匹の子豚を連れて来た、星先生は…。
1年間、その豚を育てて、大きくなったら食べようという提案をする。
「なんで食べるんですか?」
「生きているものを食べるということの意味を、体で感じて欲しいんです」
星先生の考えに、教頭先生(大杉)は苦い顔だが、高原校長(原田)は、星先生の熱意と覚悟を認め、
学校で豚を飼う許可を出す。
翌日の休日。
6年2組の生徒達26人は、皆で相談して校庭に小屋を作り、当番を決めて「Pちゃん」と名付けた子豚を飼い始める。
星先生は、最初は豚に名前を付けるのを反対したのだが、皆の意見に押されてしまった形となった。
池沢先生(田畑)のクラスが育てているトマトをPちゃんが食べてしまったり、お母さんたちが豚を飼うのに
反対したりと、困った事も起きたが、クラスの皆は力を合わせてPちゃんの世話をし、時には一緒に遊んで
楽しく過ごして行くのであった…。
夏休みも過ぎ、卒業まで4ヶ月となったころで、6年2組の中ではPちゃんを食べるのに反対する意見が増えていた。
育てているうちに、Pちゃんを食べるのが可哀相になってきたのだ…。
Pちゃんをどうするか?クラスの皆は一生懸命に考え、様々な意見を出して行く。
しかし、クラスで話し合いを繰り返しても、食べるか食べないかの意見は真っ二つに分かれてしまうのだった…。
結論の出ないまま、6年2組の卒業は近づいてくる。
果たして、26人の子供たちと星先生がくだした決断は…?
《***》
悩みに悩んで、この作品1本だけを見て来た。 だって、起きれなかったんだもん
京都に行けば、この作品と「石内尋常高等小学校」と2本見れるスケジュールだったが、そうなると10時半には
起きて、電車に乗らねば…。
AM:3時半~5時半まで一旦寝て、再度9時前~10時半睡眠で行くのはやっぱキツイし…。
と言う事で、「石内尋常高等小学校」は、今日までなので落としてしまった…。
近所のラスト上映の映画館で、かかる事があれば見たいとは思うけれど…。(仕方ないや!)
1990年、大阪の小学校の新任教師が“ブタを飼って育てた後、食べる”という実践教育をおこなった。
まだ総合学習時間もない中でのその試みは、大きな波紋を呼んだ。
更に1993年には、そのクラスの子供達の姿を追ったドキュメンタリー番組が放送され、賛否両論を
持って迎えられた…、そうである。(その頃、大阪人の私は熊本に暮らしていたので全く知らなかった!)
その番組を見て「心を鷲掴みにされた」のが前田哲監督。
「この話を映画にしたい」という強い想いが、13年の時を経て、映画『ブタがいた教室』として結実したと言う事らしい。
と、映画を見て帰宅してから「You Tube」でそのドキュメンタリーをダイジェストにした番組を見た。
(←これは、1本目。3本まであります)
実は、この映画を見て、先ず「う~~ん?」と唸ってしまった。
で、実際はどうだったのかを見たかったのだが、ドキュメンタリーをマンマ映画化しただけなのね!
何故? もし、マンマ同じものを作るなら、ドキュメンタリーで良いじゃないか! (その方が事実だし。)
と言うのも、一等最初の星先生の「豚肉をパックでしか見た事のない子供達に、生きているものを
食べるということの意味を、体で感じて欲しいんです」と言う趣旨が、全く違う方向に向いて行ってしまう為。
けれど、これがドキュメンタリーなら、其れも許せる。
だって、違う方向に向いてしまったけれど、其れも事実だから…。
でも敢えて、この題材を映画にするのなら、もう少し色々と変えるべきではなかったのか?
ドキュメンタリーの方は、それでも先生は試行錯誤して、家庭科の調理実習に「豚足」等を作って子供達に
食べさせたりして、少しでも「豚を食べる」と言う気持ちに軌道修正しようという試み等がある。
しかし映画の方は、そう言う事は全く無い。 もう、初めの段階から完全にクラスのペットになっているのである。
と言う事で、この映画は「ペットを飼育して食べる事が出来るか?」と言うストーリーになっちゃっているのである。
そんな事、最初からどう考えても「無理」に決まっている。
急に見舞われた、飢餓時代に突入しない限り、「ペット」を食べる等と言う事は、普通人には無理でしょう。
しかし百歩譲って、ドキュメンタリーと同じストーリー(大まかな筋)で行くとしたら、子供達の変化をもっと
入れるべきだったのでは?
最初から、最後まで子供達には「命」についての変化が全く見られない。
ピエール瀧がパパで、クラスの太っちょ君は、「魚が嫌いだが、豚を飼い始めて綺麗に食べる様になった」とパパが
徐に星先生に話すシーンがあるのだが、「其処!なのよ」
しかし、このシーンもパパの話だけで終わっちゃっている。
そう言う事が目に見える、子供達の変化を映像で見せて欲しい。
全く、良いシーンが無い訳では無い。 ピエール瀧のパパの話のシーン。
沖縄料理の店のシェフのパパの話。 出来れば、私はこのパパにさばいて欲しかったなぁ~。
少なくとも、このパパの話をクラスの皆に聞かせて欲しかった。
(これこそが、真の命の授業だと思うけれども…)
子供達が、卒業を前にしてディベート形式で話し合いをするシーンが、物凄く良いと皆様褒めていらっしゃらる
レヴューが多かったけれども、子供達の脚本は白紙で、台詞等は自らの言葉で話して、泣いている。
(もう一つ言うと、ラストも子供達には知らされていなかったそうだ)
↑でも、これは単に臨場感を作る為の計画だろうと思うのだが…。(私って、言っている事鬼ですか?)
18年前の子供も、今現在の子供も然程変わりは
ブタがいた教室 何故に、今これを映画化なのか? その後ろにあるもの…。
2008・邦画 ★★★☆☆
監督:前田哲
出演:妻夫木聡 原田美枝子 大杉漣 戸田菜穂 田畑智子 ピエール瀧 大沢逸美
4月。
6年2組の担任の熱血新米教師・星(妻夫木)は、ある大胆な授業を計画していた。
教室に1匹の子豚を連れて来た、星先生は…。
1年間、その豚を育てて、大きくなったら食べようという提案をする。
「なんで食べるんですか?」
「生きているものを食べるということの意味を、体で感じて欲しいんです」
星先生の考えに、教頭先生(大杉)は苦い顔だが、高原校長(原田)は、星先生の熱意と覚悟を認め、
学校で豚を飼う許可を出す。
翌日の休日。
6年2組の生徒達26人は、皆で相談して校庭に小屋を作り、当番を決めて「Pちゃん」と名付けた子豚を飼い始める。
星先生は、最初は豚に名前を付けるのを反対したのだが、皆の意見に押されてしまった形となった。
池沢先生(田畑)のクラスが育てているトマトをPちゃんが食べてしまったり、お母さんたちが豚を飼うのに
反対したりと、困った事も起きたが、クラスの皆は力を合わせてPちゃんの世話をし、時には一緒に遊んで
楽しく過ごして行くのであった…。
夏休みも過ぎ、卒業まで4ヶ月となったころで、6年2組の中ではPちゃんを食べるのに反対する意見が増えていた。
育てているうちに、Pちゃんを食べるのが可哀相になってきたのだ…。
Pちゃんをどうするか?クラスの皆は一生懸命に考え、様々な意見を出して行く。
しかし、クラスで話し合いを繰り返しても、食べるか食べないかの意見は真っ二つに分かれてしまうのだった…。
結論の出ないまま、6年2組の卒業は近づいてくる。
果たして、26人の子供たちと星先生がくだした決断は…?
《***》
悩みに悩んで、この作品1本だけを見て来た。 だって、起きれなかったんだもん
京都に行けば、この作品と「石内尋常高等小学校」と2本見れるスケジュールだったが、そうなると10時半には
起きて、電車に乗らねば…。
AM:3時半~5時半まで一旦寝て、再度9時前~10時半睡眠で行くのはやっぱキツイし…。
と言う事で、「石内尋常高等小学校」は、今日までなので落としてしまった…。
近所のラスト上映の映画館で、かかる事があれば見たいとは思うけれど…。(仕方ないや!)
1990年、大阪の小学校の新任教師が“ブタを飼って育てた後、食べる”という実践教育をおこなった。
まだ総合学習時間もない中でのその試みは、大きな波紋を呼んだ。
更に1993年には、そのクラスの子供達の姿を追ったドキュメンタリー番組が放送され、賛否両論を
持って迎えられた…、そうである。(その頃、大阪人の私は熊本に暮らしていたので全く知らなかった!)
その番組を見て「心を鷲掴みにされた」のが前田哲監督。
「この話を映画にしたい」という強い想いが、13年の時を経て、映画『ブタがいた教室』として結実したと言う事らしい。
と、映画を見て帰宅してから「You Tube」でそのドキュメンタリーをダイジェストにした番組を見た。
(←これは、1本目。3本まであります)
実は、この映画を見て、先ず「う~~ん?」と唸ってしまった。
で、実際はどうだったのかを見たかったのだが、ドキュメンタリーをマンマ映画化しただけなのね!
何故? もし、マンマ同じものを作るなら、ドキュメンタリーで良いじゃないか! (その方が事実だし。)
と言うのも、一等最初の星先生の「豚肉をパックでしか見た事のない子供達に、生きているものを
食べるということの意味を、体で感じて欲しいんです」と言う趣旨が、全く違う方向に向いて行ってしまう為。
けれど、これがドキュメンタリーなら、其れも許せる。
だって、違う方向に向いてしまったけれど、其れも事実だから…。
でも敢えて、この題材を映画にするのなら、もう少し色々と変えるべきではなかったのか?
ドキュメンタリーの方は、それでも先生は試行錯誤して、家庭科の調理実習に「豚足」等を作って子供達に
食べさせたりして、少しでも「豚を食べる」と言う気持ちに軌道修正しようという試み等がある。
しかし映画の方は、そう言う事は全く無い。 もう、初めの段階から完全にクラスのペットになっているのである。
と言う事で、この映画は「ペットを飼育して食べる事が出来るか?」と言うストーリーになっちゃっているのである。
そんな事、最初からどう考えても「無理」に決まっている。
急に見舞われた、飢餓時代に突入しない限り、「ペット」を食べる等と言う事は、普通人には無理でしょう。
しかし百歩譲って、ドキュメンタリーと同じストーリー(大まかな筋)で行くとしたら、子供達の変化をもっと
入れるべきだったのでは?
最初から、最後まで子供達には「命」についての変化が全く見られない。
ピエール瀧がパパで、クラスの太っちょ君は、「魚が嫌いだが、豚を飼い始めて綺麗に食べる様になった」とパパが
徐に星先生に話すシーンがあるのだが、「其処!なのよ」
しかし、このシーンもパパの話だけで終わっちゃっている。
そう言う事が目に見える、子供達の変化を映像で見せて欲しい。
全く、良いシーンが無い訳では無い。 ピエール瀧のパパの話のシーン。
沖縄料理の店のシェフのパパの話。 出来れば、私はこのパパにさばいて欲しかったなぁ~。
少なくとも、このパパの話をクラスの皆に聞かせて欲しかった。
(これこそが、真の命の授業だと思うけれども…)
子供達が、卒業を前にしてディベート形式で話し合いをするシーンが、物凄く良いと皆様褒めていらっしゃらる
レヴューが多かったけれども、子供達の脚本は白紙で、台詞等は自らの言葉で話して、泣いている。
(もう一つ言うと、ラストも子供達には知らされていなかったそうだ)
↑でも、これは単に臨場感を作る為の計画だろうと思うのだが…。(私って、言っている事鬼ですか?)
18年前の子供も、今現在の子供も然程変わりは
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