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【2つのタイプの死:アポトーシス、ネクロシス】
「罪の支払う報酬は死です。しかし、神の賜物はわたしたちの
主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。」
   (ローマ信徒への手紙6章23節)

「しかし、恵みの賜物は罪とは、比較になりません。
一人の罪によって、多くの人が死ぬことになったとすれば、
なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの
賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。

一人の罪によって、その一人をとおして、死が支配する
ようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを
豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して
生き、支配するようになるのです。」
  (ローマ信徒への手紙 5章15節、17節)

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「命」の大切さを考えるために、「生きる」ことを考えるために
逆説的にですが、あえて「死」について考えています。

あまりにも命が軽々しく考えられているとしか思えないような
事件、小さな子の命が奪われたり・・・が起こっています。

そのような事件、事故がなくなること
を願いながら・・・

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さて、上の聖句の中には、みなさまにとって、
きっとおなじみのことば、よく耳にされることばが
含まれています。

それは、「神の賜物」と訳されているギリシャ語原語なのですが
「カリスマ」という言葉です。

「カリスマ」とは、本来、聖書的には
神様からの賜物(プレゼント)という
意味があります。


聖書によると、イエス=キリストによって、
すべての人に、永遠の命がプレゼントされる
と書いてあるのです。


死を考えるとき、この事柄について、触れないでおくこと
この前提を考えずに、考えることはできません。



また、ここには、永遠の命の反対語としての「死」を、
「罪の支払う報酬」という表現がされています。

このブログで、繰り返しお伝えしていますが、

聖書でいう罪、その本質は、
「愛から的を外して、生きている状態」であり、
自己中心であること・・・です。


聖書は、自己中心が積もり積もって
積み重なって、死を招いている・・・
と言っているのです。



また、後日、詳しくお伝えする項目ですが、

聖書は、「死」について 
2つのタイプの死があることを
告げています。

一つは、「愛のゆえの死」
もうひとつは、「自己中心ゆえにもたらされた死」
というものです。

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もう少しだけ、詳しくお伝えしておくと
聖書には、実は、日本語では「死」と一つに訳されているのですが
ギリシャ語原語では、3つに区別されます。

「サナトス」「ネクロス」「アポスネスコー」です。

それぞれ、「死」の質が異なります。

その中で、「ネクロス」と「アポスネスコー」を見ておこうと思う。

上の聖書の箇所に、繰り返し出てきます
イエス=キリストによる
「永遠のいのち」というものに通じる「死」は
「アポスネスコー」
で表現されています。

一方、そうではない死を「サナトス」や「ネクロス」が
表現している。

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さて、生物学、医学分野でつかわれる言葉で
「ネクロシス」「アポトーシス」という言葉があるのですが
お聞きになったことはあるでしょうか。

実は、「ネクロシス」の語源として、「ネクロス」
「アポスネスコー」の派生語として「アポトーシス」
があります。

「ネクロシス」は「細胞の壊死、破壊」を表現している。

一方、「アポトーシス」は、細胞の自死と訳されていたり
するんだけど、わたしたちの細胞は、ご存じのように常に
新しく生まれ変わっています。
それを新陳代謝といったりしますが、

古い細胞が、新しい細胞に代わっていく
ような変化を「アポトーシス」といいます。

この「アポトーシス」が円滑でないと、その細胞は
癌化していくことになります。

よって、がん治療の研究の中では、
いかに癌細胞にアポトーシスを促すことができるか、
その研究、薬の開発がされているのです。

イエス=キリストが十字架で死なれたと
される「死」は、特別に「アポスネスコー(アポトーシス)」が
使われています。

それ以外の死は、「サナトス」や「ネクロス」です。

聖書によると
イエス=キリストの十字架の死は、
すべての人を救う愛となった、愛のゆえに・・
と書かれています。

しかし、罪(自己中心)によってもたらされる「死」
は「ネクロス」なのです。

さて、上記の聖書 箇所

ローマ信徒5章15節にある、「一人の人によってもたらされた死」
とは、創世記3章に書かれていることです。
それは、「アダム」という人物のことを指している。

一方、17節の「一人の人」とは、イエス=キリストを指している。

初めの一人の人に、よってもたらされるようになったのは「ネクロシス」です。

しかし、あとの「一人の人」によって、
ネクロス(崩壊でしかない死)から、
アポトーシス(復活(再生)に通じる死)への変化

がもたらされた、ひき起こされたといういうのです。

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■新しい一日になりました。今日も一日お元気で。
生活やお仕事の上に豊かな祝福がありますように。
ご家庭・ご健康が守られますように。

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